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やんさ太鼓とは(About)

1667年(寛文7年)より昭和4年まで約300年に渡り『ヤンサマチ』と呼ばれる祭がありました。

瓜連の静神社、ひたちなか市の酒列磯前神社、東海村の村松大神宮の三地点を結ぶ旧那珂地方48ケ村を巻き込んだ壮大な祭には、二つの神事がありました。

一つは瓜連の静神社からひたちなか市の酒列磯前神社への7里の道のりを神輿が御渡りする『浜降り』の神事。
そして一方、村松大神宮に集結した村々の名馬が『浜降り』のクライマックスに合わせて酒列磯前神社へ2里8町を競争し豊年満作を祈った神事です。

この砂競馬で太鼓が打ち鳴らされ『ヤンサ』のまつりは最高潮に達したとの事です。

『やんさ太鼓』は、このような歴史的背景のもと、昭和53年2月8日に勝田商工会議所 青年部が中心となって創られました。
“ヤンサマチ”の砂競馬の様子を表した『やんさ太鼓』をはじめとし、『勝田陣太鼓』、『武田の郷 八幡太鼓(たけだのさと はちまんだいこ)』、『鈴女(すずめ)』等のレパートリーを持ち、毎年8月に行われる”ひたちなかまつり”の他、年間25回ほどの県内各地のイベント等でその勇壮な太鼓を披露しております。
又、普段太鼓にふれるチャンスの無い方の為の『太鼓を楽しむ会』や、学校施設等での『太鼓体験教室』など、みんなで楽しめる太鼓を目指しています。


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ヤンサマチについて

『やんさまつり』の俗称で、マチは祭の事です。

この祭典は、万葉時代から昭和初期迄に於いて旧三月七日を中心に行われていた行事で現在は毎年三月七日競馬祭として祭儀のみが行われています。

ヤンサマチは、当地方の旧制四十八ケ村の各鎮守の神輿が、それぞれの氏子民によって酒列磯前(さかつらいそさき)神社に『ヤンサコラサ』の掛声も勇ましく神幸された祭典です。
これと時を同じくして、今の東海村海岸を起点とし、酒列磯前神社境内地を決勝点とする渚二里八町(約8.7km)の直線コースで、六頭による競馬の儀が行われました。

この競馬に参加する人馬は幾日もの間、心身を清めると云う厳しい習慣を守りながら行われたものでした。騎手の携えて来た特製の鉾を、三つの的のうちの一つに最初に投入した者が優勝となりました。一の的は天下泰平、二の的は五穀豊穣、三の的は大漁万足を、その当たり具合によって占いました。

この競馬祭は京都下賀茂神社馬競(うまくらべ)、福島県相馬神社馬追(うまおい)祭と並ぶ日本三大競馬祭と称された神事であったそうです。

現在は、ただ厳粛にして勇壮な御神事であったろうことを偲ぶのみとなっています。

参考文献:酒列磯前神社由緒書

神幸競馬祭(旧3月7日):村松大神宮

俗にヤンサァマチと称す。神興磯崎浦へ神幸渡御し、関係四十八ヶ村共に神興を奉じて磯出する。氏子下より駿馬六頭を選出し、神鉾を捧げて村松より磯崎浦に至る二里八町の海浜で競馬を行う。

この祭典は中世に廃絶したものを元禄九年徳川光圀公が復興せられた。

祭典に臨まれたときの詠
「千早振る神の磯出のくらべ馬 しき波かけて今日きそふなり」
  • やんさ太鼓保存会とは